定年退職はしましたが、現役だったころを思い出しながら、ひとりごとを綴ってみます。
「また頼まれてしまった」
そう思いながらも、笑顔で引き受けてきた日々が、私にもあります。
頭の中にあった今日のやることリストは、そのたびに並び替わる。
それでも「了解です」と答えてきた。
断れない性格だったのか。それとも、誰かの役に立ちたかったのか。
正直、面倒だなぁと思う日もあります。
でも、ふと気づいたんです。
「頼まれる」ということは、自分がまだ誰かの役に立てるということなんだと。
あのとき気づかなかった「頼まれごと」のひとつひとつが、自分を育ててくれていた気がします。
「頼まれごと」って、正直なところ、どう感じますか?

断らない自分『了解です』
忙しい日に限って、またいつものように職場の上司や先輩から「これやっておいてくれないかなぁ」と声がかかる。
今日のやることリスト(優先順位)が、テトリスみたいに並び替わる瞬間。
それでも「了解です」と引き受ける人がいる。

一方で、こんな場面の人もいる。
断った自分を『正当化』
「お願いがあるんだけど」と声をかけたとき、 あからさまに顔が曇る人がいる。
「いま忙しいので!」の一言で会話が終わる。

「なぜ、私?自分のことで精いっぱい!」と心の中でつぶやいていた。
だから断った。
それは仕方のないことだ、と自分に言い聞かせた。
むしろ、正直に言えた自分を、少し褒めてさえいた。
頼まれなくなって、気づくこと
それが、ある日、ふと気づく。
最近、誰も声をかけてこない。
「お願いがあるんだけど」という言葉を、しばらく聞いていない。
静かだ…。
やっと自分の時間が持てた、と思えばいいのかもしれない。
でも、なぜだろう。
胸のどこかに、小さな寂しさがある。
頼まれることが、煩わしかったはずなのに。
頼まれなくなって初めて気づく。
あの「お願い」は、わたしを必要とする人からの
小さなサインだったのかもしれない、と。
頼まれる人と、頼まれなくなる人
どちらが正解、というわけじゃない。
でも、不思議なことに気づきませんか?
「また頼まれた」とぼやきながらも引き受け続けた人のまわりには、 なぜか人が集まってくる。
一方で「忙しいから無理」と断り続けた人のまわりからは、 いつしか誰も声をかけなくなっていく。
頼まれるということは、 あなたのことを「信頼できる」と思っている人がいる証拠です。
頼まれごとが増えていく中で、「人に喜ばれること」の意味を以前より考えるようになりました。
昭和の職場では当たり前だったこの感覚、令和の今はどう変わってきたのかを書いています。よかったらこちらもご覧ください。

「お願い」の裏側にあるもの
頼まれごとを面倒だなぁと感じてもいい。
でも、その「お願い」の裏側にあるものを、少し想像してみませんか?
頼まれごとは宝物
今日も誰からか
「お願い」という贈り物が届いた
「面倒だなぁ」って
思ってしまうこともあるけれど
よく見てごらんよ
その「お願い」はきっと宝物よ
誰かの「困った」に手を差し伸べることは
自分を育てる種まき
やがて芽吹くのは笑顔の花
そして実るのは「ありがとう」という幸せの実
だから今日も喜んで祝福しよう
「頼まれごと」は人生からの素敵な贈り物

小林正観さんの言葉
人間の生きる目的とは、
「頼まれごと」の人生を送ること。すなわち
「人に喜ばれる存在」になること
※小林正観さんの言葉より引用
今日届く「お願い」を、少し違う目で見てみませんか。
あなたの「了解です」が、誰かの支えになっています。














