先日、近所のカフェに立ち寄ったときのことです。
窓際の席に、20代くらいの若い男性が座っていました。ノートパソコンを開いて、イヤホンをして、周りの話し声など全く気にならない様子で、画面に集中しています。
テーブルの上にはコーヒーが一杯。それだけです。
「仕事をしているのかな、それとも勉強かな」と思いながら、私は自分の席に座りました。
ふと、40年以上前の自分の職場を思い出しました。あの頃、仕事は会社の机でするものでした。
カフェで仕事なんて、想像すらしなかった時代です。働く場所も、道具も、ルールも。
でも、あの若者の真剣な表情は、昔の私たちと何も変わらないように見えました。

一所懸命に何かに向かう姿というのは、いつの時代も同じなのかもしれません。
今回は、そんな時代の変化を、昭和と令和を行き来しながら見つめ直してみます。
- 「不便」が「普通」の時代
- 時代とともに働き方はこんなに変わった
- 権利と義務はやっぱりセットじゃないかな
- 若者の一生懸命さは昔と何も変わらない
昔の職場はこんなだった

あの頃の職場を思い出すと、今とはまるで別世界のような気がします。
上司との距離感の違い
書類一枚を持っていくにも、なんとなく緊張したものです。
「今、声をかけていいだろうか」と、上司の表情を伺いながら机に近づく。そんな光景が当たり前でした。
タイムカードより「空気を読んで残る」残業
定時になっても、上司が席にいれば帰りにくい。
誰かが「お先に失礼します」と言い出すのを、みんなが待っているような空気がありました。
残業代がどうこうというより、「残るのが当然」という雰囲気だったのです。
飲み会は断れない、二次会も当然
仕事終わりに「今日、一杯どう!?」と声がかかれば、それは事実上の命令です。
二次会、三次会まで付き合うのも珍しくありませんでした。
翌日も普通に出勤しながら、それが当たり前だと思っていました。
管理人そして「花の金曜日」は飲み会が定番。
「花金だ、飲みに行くぞ!」
そんな声が職場に響くのが、毎週金曜日の夕方でした。「花の金曜日」略して花金。
バブルの香りが残っていたあの頃、金曜日の夜は街も職場も、どこかそわそわした空気がありました。
飲み会は楽しかったです。仕事を離れて、先輩や同僚と語り合うあの時間は、今となっては懐かしい懐かしい思い出です。
ただ、正直に言うと、断れなかったのも事実。



行きたくない日も、疲れている日も、「お疲れ様でした!」と笑顔でついていく、それが当たり前の時代でした。
「報連相」は口頭が基本、メモは手書き
連絡はすべて口頭か、手書きのメモです。
電話はありましたが、メールもチャットもない時代。伝言ゲームのように情報が行き来することもしょっちゅうでした。
今思えば、不便だったのかもしれません。でも不思議と、そのときは不便だと感じていませんでした。それが「普通」だったからです。
時代はこんなに変わった



OL時代から40年が経ち、職場の様子は驚くほど変わりました。
リモートワーク・ダブルワーク
コロナ禍からリモートワークという言葉が当たり前になり、自宅で仕事をしたり、カフェで仕事をする。場所にしばられずに働けるようになったのです。
最初にその話を聞いたとき、「本当にそれで仕事になるのだろうか」と正直思いました。
でも今では、それが普通の働き方になりつつあります。
そういえば、ダブルワーク(副業)という言葉もすっかり定着しました。
本業を持ちながら、別の仕事も掛け持ちする。
私たちの時代には「副業禁止」が当たり前で、会社以外で収入を得ることは、こっそりやるものか、そもそも考えもしないことでした。
それが今では、会社が副業を認めるどころか、推奨するところまで出てきているというのですから、驚きます。



実は私自身も、今まさにダブルワークの真っ最中。
働き方の選択肢が増えたことは、素直に良いことだと思います。
ただ、その背景には「選択肢が増えた」という明るい話だけではなく、一つの仕事だけでは生活が成り立ちにくくなってきた、という日本経済の現実もあるように思えてなりません。
豊かな選択肢なのか、それとも必要に迫られた選択なのか。そのあたりは、少し複雑な気持ちです。
定時退社・有休取得が当たり前に
定時に帰ることも、当たり前になってきました。
有給休暇をきちんと取ることも、おかしなことではなくなりました。
むしろ、取らない方が問題だという空気さえあります。
昔の感覚からすると、隔世の感があります。
チャットやオンライン会議
連絡のやり取りも様変わりしました。
チャットで短い言葉を交わし、オンラインで顔を合わせて打ち合わせをする。
資料はデータで共有して、その場で確認しながら話が進む。
足を使わなくても、仕事がどんどん進んでいく時代になったのです。
フリーランスという選択肢が増えたことも、大きな変化です。一つの会社に定年まで勤め上げることが美徳とされていたあの頃とは、働き方の選択肢がまるで違います。
変化のスピードが速すぎて、追いつくのが大変だと感じることもあります。
それでも、こうした変化が若い人たちにとって、より働きやすい環境を作っているのだとしたら、それは良いことなのだと思うようにしています。
若い人を見ていて思うこと
最初は「最近の若者は…」と思いかけたけど
正直に言うと、そのように思うこともないわけではありません。
- 残業になるであろう仕事は頼みにくい雰囲気
- 溜まった仕事よりプライベートを優先し定時退社
もう一つ、正直に言うと、少し戸惑ったことがありました。
有給休暇を取ること、残業を断ること、それ自体は正しいことだと思います。
ただ、ごくたまに「権利はしっかり主張するけれど、義務のほうはどうかな」と感じる場面があったことも事実です。
もちろん、ひと握りの話です。大半の若い人はきちんと責任を果たしています。
ただ、私たちの時代は「まず義務を果たして、それから権利を主張する」という空気が当たり前でした。
どちらが正しいというわけではないのかもしれません。時代の価値観が変わったのだと、頭ではわかっています。
それでも、ふと「権利と義務はセットじゃないかな」と思ってしまう自分がいます。これも、昭和育ちの古い感覚なのでしょうか。
一生懸命さは昔と変わらない
でも、よく見ているうちに、気がついたことがあります。
昭和と令和とやり方は違っても、一生懸命さは変わらないのです。
カフェで黙々とパソコンに向かっている若者も、チャットで素早くやり取りしながら仕事を進めている若者も、目は真剣です。
手を抜いているわけではない。ただ、私たちの頃とやり方が違う。それだけなのです。
それどころか、情報の集め方、段取りの組み方、道具の使いこなし方は、若い人たちのほうがよほど上手だと思います。



私が何時間もかけてやっていたことを、あっという間に片付けてしまう。素直に「すごいな!」と思います。
時代が変われば、求められる力も変わる。
彼ら彼女らはその時代に合わせた力を、しっかりと身につけているのだと思います。
まとめ


カフェで見かけた、あの若者のことをまた思い出します。
イヤホンをして、画面を見つめて、コーヒー一杯で仕事に向かっていたあの姿。
昔の私には想像もできない働き方。でも、あの真剣な表情だけは、昔も今も変わらないものを感じました。
時代は変わりましたが、今の若い人たちは、私たちとはまったく違うプレッシャーを背負っているのかもしれません。
終身雇用は揺らぎ、テクノロジーは次々と生まれ変わり、「学び続けること」が当たり前になってしまった時代。
それでも新しい波に飲み込まれまいと、最新のツールを使いこなしながら、自分なりの働き方を模索している。
その姿を見ていると、どこかほほえましく、そして、とても頼もしく感じています。
「目の前の仕事に向き合う真剣さ」は、昭和にも、平成にも、令和にも、その時代なりの一所懸命さがあって、それぞれに色あせない価値があるのだと思います。
そう素直に思えるようになったのは、私自身が年齢を重ね、過去と今の両方を眺められる位置に立ったからかもしれません。
AIだ、DXだの、世の中はますます賢く便利になっていきますが、「人間のしぶとさ」や「こだわりの強さ」だけは、まだまだ負けていないと思っています。
この先どんな技術が出てきても、画面の向こう側で「なんとかしよう」と頭をひねっている人の姿がある限り、私も簡単に「AIなんぞ」にお株を奪われるわけにはいかない。
そう、カフェの若者の背中を見ながら、静かに闘志を燃やしたのでした。













