ブログが止まっていることを、ずっと気にしていたにも関わらず・・・
「また書こう」と思いながら、何度もページを開いては、また閉じて・・・
家庭の事情で離れた時間は、決して無駄ではなかったはずなのに、一度手が止まってしまうと、戻るには想像以上のエネルギーが必要でした。
この時間、私はブログのこと、時代の変化のこと、
そして「それでも続ける意味があるのか」を何度も自分に問いかけていました。
今日は、その答えが出ていないままの気持ちを、少しだけ書いてみようと思います。
- 書けなかった時間も経験の一部
- 頑張ってきたからこそ止まった
- AI時代に揺れるブログの意味
- 前と同じでなくても続けていい
ブログから離れたのは

家庭の状況が大きく変わったことで、これまで自分の中で大事だと思っていたものの優先順位を入れ替えざるを得ませんでした。
穏やかで安心な、平坦な道を歩み続けたいのに、なぜか紆余曲折な道が多いですよね。
今回、軌道修正するのに、正直かなり時間がかかりました。
「どうしてこんなに遠回りしているんだろう」と自分に問いかけることも、何度もありました。
でも、この期間の出来事も決して無駄ではないと思っています。
後から振り返ったとき、「あの遠回りがあったから、今ここにいる」と思える瞬間が、きっと来るのだろうと感じています。
一生懸命やってきたからこそのプレッシャー
ブログを始めた頃は、試行錯誤しながらも書くことが楽しくて、前に進めていたのだけれど、
気づけば、「書きたい」というシンプルな衝動よりも、「失敗したくない」「レベルを落としたくない」という不安のほうが大きくなっていました。
前に進ませてくれていたはずの努力やこだわりが、いつしか、今の自分を縛りつける足かせになっていたのだと思います。
更新していないことへの罪悪感
何かを書こうとしても、「今さら何を書けばいいんだろう」
そんな気持ちが先に立って、画面を閉じてしまう。
見ないふりをしていれば、この重たい気持ちも消えてくれる気がして…。
でも実際は、心の片隅にはずっと引っかかったままなんですよね。
時代が変わり、ブログの立ち位置も変わったと感じた

調べものは、いつの間にかAIで済むようになっていた
ブログから少し離れていたあいだに、気づけば「情報との付き合い方」そのものが、すっかり様変わりしていました。
以前は、知りたいことがあれば、とりあえず検索窓を開いて、キーワードを入れて、いくつものサイトを渡り歩いたものです。
あっちのブログを読んで、こっちの体験談に寄り道して、ようやく自分なりの答えにたどり着く。
そんな過程そのものも、情報収集の一部でした。
ところが今は、検索結果の一番うえに、AIが要約した「答えらしきもの」が最初から差し出されます。
必要なポイントだけがきれいに整理されていて、「とりあえずこれでいいか」と、個人ブログまでたどり着かないまま、用が済んでしまうことが増えました。
効率だけを見れば、とても便利です。
ただ、その便利さの裏で、自分自身の「読み方」「知り方」も変わってしまったような、どこか心もとない感覚があります。
そうした変化を前にして、ふと立ち止まってしまいます。
「書くこと」「読むこと」の意味をもう一度問い直しながら、今の時代だからこそできるブログとの向き合い方を探していきたい、今はそんな気持ちでいます。
SEOや情報発信についていけない感覚
ブログを再開しようかと考えたとき、まず頭に浮かんだのは、SEOのこと。
久しぶりに調べてみると、専門用語も考え方も、さらに複雑になっているように感じます。
「ちゃんと勉強し直さないと書けないな」
「今のやり方では通用しないかも」
そんな思いが、また手を止めてしまう理由になっていました。
「それでも書く意味はあるのか」と自問した時間
情報は、AIや大きなサイトで十分に足りている。
今の時代に、わざわざ私のブログを読んでくれる人はいるのだろうか。
書く意味は、本当にあるのだろうか。
答えは、まだはっきりとは出ていません。でも、この問いを避けずに考えた時間も、今の私にとっては大切な時間だと思っています。
それでも、ブログ経験を無駄にしたくなかった

今まで積み重ねてきた時間への思い
ブログのことを考えないようにしていた時間があっても、これまで積み重ねてきたことまで、なかったことにはできなかったんです。
記事を書いて、悩んで、調べて、何度も書き直してきた時間。
すぐに結果が出たわけではないけれど、自分なりに一生懸命向き合ってきた確かなる時間。
だからこそ、「やめる」という選択だけは、どうしても選べません。
更新していない期間があったからといって、それまでの経験が消えるわけではありませんし。
文章を書く力も、考える力も、すぐに形にならなくても自分の中にしっかり残っています。
「やめる」ではなく「放っておかない」という選択
サイトを開くのがつらかった時期でも、削除しようとは思いませんでした。
何も手を入れていなくても、そこにあるだけで、これまでの自分を否定せずに済んだ気がしたからです。
今は、以前のように頑張れなくてもいいと思っています。
更新頻度も、記事の完成度も、前と比べる必要はない。
大切なのは、これまでの経験を「なかったこと」にしないこと。
ブログを放置するのではなく、少しずつでも、言葉を残していくことが大事かなと、思いはじめています。
まとめ:今は、前と同じでなくていい
以前は、情報を丁寧に集めて、わかりやすく整理して、決めたペースで記事を出して……と、
「こうあるべきブロガー像」を自分に課していたように思います。
更新が空くと、「サボってしまった」「続ける資格がない」とさえ感じていました。
でも、手を止めていた時間のあいだに、少しだけ見方が変わりました。
ブログは、本来もっと自由でいいはずだし、「理想の書き手」である前に、「いまここにいる自分」であってもいいのだと。
いまの自分が考えていること、胸の中でひっそり引っかかっていること、うまく言葉にならないモヤモヤ。
そういうものを、うまく見せようと構えすぎず、自分に無理のない言葉で置いていく。
その程度の温度感で書いても、きっと十分なのだと思うようになりました。
それを読んでくれる人がいるか、誰かの役に立つかどうかは、正直なところ、書く前に完全には見えません。
「役に立つ記事」「検索される記事」を狙いすぎると、かえって何も書けなくなってしまうこともありますよね。
ならば、綿密な計算よりも、まずは目の前にそっと一行置いてみる。そこからしか始まらないこともあるはずです。
これからは、「ちゃんとした記事を書かなきゃ」と自分を追い込むより、
「書きたいときに、書ける分だけ、楽しく書く!」を優先したいと思います。
たとえ更新がゆっくりになっても、今の自分が無理なく続けられる歩幅で。
そのリズムこそが、これからの私にとっての「ブログとの健やかな関わり方」だと感じています。
もし、今この記事を読んでいる方のなかに、「以前のように書けなくなって、ブログから離れてしまった」と感じている方がいたら、その止まっていた時間も、ちゃんと意味のあるものだったと伝えたいです。
書けなかった期間があるからこそ見える景色や、そこから生まれる言葉も、きっとあるはずですから。
ここまで目を通していただき、本当にありがとうございました。












